BLOG 2016年08月


2016/08/31(水) きょうは二百十日

きょうは立春から数えて210日目の「二百十日」。

この日を境に台風の襲来や悪天候が農作物に被害をもたらすことから、
二百二十日は厄日とされてきたようだ。

なるほど、ぴったしに台風がやって来た。

このころに吹く暴風、特に、二百十日・二百二十日前後に吹く台風を
古くは「野分」(のわき/のわけ)の風と呼んでいた。
野の草を分けて吹きすさぶ風ということから名付けられたもので、
万葉集や枕草子、源氏物語にも登場している。

と、いうことは、今でこそ台風と呼ぶが、随分と昔から二百十日あたりは
激しい風が吹き荒れていたんだろう。
野分は秋の季語でもあり、夏目漱石も「二百十日」、「野分」という作品を
書いている。
「野分」、とはとても文学的な香りのすることばに思えるが、
じつは凶暴な風である。

今年の「野分」はひどすぎる。


2016/08/30(火) 台風襲来

午前8時から9時ごろまでとてもいいお天気、
関東では台風の影響で雨が降っているというのに、
こちらは晴天、同じ日本なのになぁと思ってたのに。
徐々に雲行きが怪しくなり、風が吹き出してきた。

台風の影響だろうか。

関東地方の一部が、強い台風10号の強風域に入り、
大雨・波浪警報が出ている。
昼過ぎから夕方にかけては東北地方に接近し上陸する恐れが
あるという。

台風の進路がそれることが一番だが、襲来は免れそうにない。
窓を、板やガムテープで固定したり、今のうちに水や食品を
購入するなど、先人の知恵に倣って、出来る限りの準備を。
決して無駄にならない。
むしろ無駄になってほしい。

2016/08/29(月) 夏の終わりの散歩道

       いつもの小道に桑畑がある。


       両側の緑の木が桑



       桑の葉が朝陽を浴びて輝いている。

珍しく畑に人がいる。
姉さんかぶりでモンペの女性や作業服を着た男性たちである。
多分に家族総出の桑の収穫だろう。

桑の葉って今も蚕(かいこ)のエサに使ってるのかな?
だいいち、これって桑かしら?
ここを通るたびに疑問に思っていた。

作業中の姉さんかぶりの女性と目が合ったので、
会釈しながら声をかけてみた。


  あの~おはようございます。これって桑ですか?


       「桑だよ~」


  蚕のエサに使ってた桑ですよね。


       「あ~、ずっと昔ばってんね!」


  今は、この桑はなんに使うんですか~?


    「こら~お茶につかうと。桑の葉の茶は体によかけんね、
     健康食品の会社に出荷すっとたい」


  桑の実はとれないんですか?


       「そら~また別品種」


  そうですか~どうも~、お邪魔しました~、
     ありがとうございました。


そして、歩き始めると・・・後ろの方から、

    娘「なんば 言わしたつね」
    母親「桑のことば、聞かしたったい」
    娘「なんてね?」
    母親「こん桑は蚕に使いよった桑ね?てたい」
    娘「はっ? なんね蚕って?」
    ・・・どうやら娘さんは知らないらしい。
    母親「蚕は虫たい。蚕から絹がでくっと」
    娘「は~~?」

何だか面白い会話。
空気が澄んでいるので会話の内容がしっかり伝わってくる。
話が面白いので、ニンマリしながらゆっくりと歩く。

おや、近所の家の屋根に人が。
あ~ やっと屋根の職人さんが来てくれたみたい。
4カ月を過ぎてやっと。

今朝はセミの亡骸がいくつも。
飛んでいる最中に落ちたんだろう。
セミはひと夏の命というから、命あるぎりぎりまで謳歌する。


       ほんとうに堂々の大往生。
         「楽しかった?」と、線香1本。

暑さも衰え、心地よい風が吹いている。
ほんの20分くらいの散歩に
今年の「夏の終わり」を感じたのでした。



2016/08/28(日) イタリア地震4日目

地震発生から4日目、やっぱり気になる。

死者が290人に増えている。

イタリアでは27日を「哀悼の日」とし、
各地で半旗が掲げられ、国民が喪に服したそうだ。
被災地のアスコリピチェーノでは国葬が執り行われ、
マッタレッラ大統領やレンツィ首相らが参列、
遺族や住民ととも犠牲者を悼んだ。

懸命な捜索が、現在も続いているが、
生存者の発見と救出はかなり難航しているという。

困難な状況のひとつに、報道では「相次ぐ余震」
と伝えていた。
熊本地震の教訓から、「余震」という言葉を使うのは
とても不用心。
余震は大きな地震の「余韻」ではなく
「ひとつの地震」だということ。
いつ、同レベル、あるいはもっと大きい地震が
来るかもしれない。
ただ、イタリアにそういう言語があるかは定かでないが、
日本のマスコミは「余震」という言葉を一般市民が
どのように捉えるか、ということについて考え直すべき
ではないかと思う。

常に、地震は終わらない!

イタリアの被災地では、生きて救助を待っている人が
いるかもしれない。
救出活動が安全に、迅速に活動できることを祈ります。


2016/08/25(木) イタリア地震

イタリア中部で24日午前3時36分(日本時間午前10時36分)、
マグニチュード6.2の地震が起きた。
すでに死者の数は、およそ160人、負傷者も数百人にのぼり、
住宅などの倒壊現場で救助活動が続いている。

被害が大きい中部の町アマトリーチェの町長(人口約2600人)は、
「町はもう存在しない。数十年間、ある程度の地震はあったが、
これほどのものはなかった」とインタビューに答えている。

熊本地震(4月14日)もそうだった。
阿蘇というカルデラを有するので、他県の人より地震には慣れがあった。
だからあの時、ガタガタガタと揺れ始めても、すぐに終わる、と
高を括っていたのである。
ところがいつもと違った。
タンスなどの家財道具を揺らすどころか、家屋ごと揺らして
恐怖のどん底に落とし込んだ。

イタリアも震度7かそれ以上だったかもしれない。
行方不明者の捜索や負傷者の手当て、避難者の生活など大変だろう。

同じ規模の地震を体験した一人として、他人事ではない。

地震はいつ、どこで起きるかわからない。


2016/08/23(火) 台風到来

オリンピック一過、台風到来!

11年ぶり関東へ上陸した台風9号は東北地方を北上、今朝から北海道(日高地方)
に再上陸。

今回の台風はいつもと違って、関東から北上して北海道へ上陸するなど非常に稀な
進路をとっている。
いつもだと大東諸島から沖縄、そこから鹿児島か宮崎という進路をとり、九州を
縦断するのが通例。

北海道は17日の台風7号、21日の台風11号、そして台風9号の再上陸、
わずか1週間に3つの台風が上陸したことになる。
統計史上初めてのことだそうで、北海道の人々は「まさか・・・」と思っただろう。
すでに、河川の氾濫や床上浸水などの被害が報道されている。

熊本で大雪が降った場合、熊本県人は右往左往のパニック状態に陥ってしまうが、
台風には慣れたもので事前に周到な態勢を整える。
一方、水に慣れない北海道の人たちは戸惑っているかも知れない。

北海道には友人や講演ツアーでお世話になった人たちがたくさんいるので心配です。

早く台風が過ぎ去ることを祈ります。


2016/08/22(月) オリンピック閉幕


終わりました。
オリンピックも高校野球も、夏祭りも。

なんだか寂しい。

オリンピックの閉会式で次期開催の東京を紹介するアトラクションは、
芸術性と科学の粋を結集した素晴らしいものだった。

選手たちは各テレビ局への出演に大忙し。
早くゆっくりさせてあげればいいのにと思う。

オリンピック開幕時、テレビでは早々に、メダルをいくつ獲得するかとか、
この選手は期待できそうとか獲得表まで作って、メダルありきの放送ばかりが
目についた。
選手がモチベーションを高めるために、金メダルを目標とするのは当然の
ことと思うが、応援は選手の高揚を促すためのものであって、メダルは
結果としてついてくるもの。

オリンピックに選出される選手だから、力や技量、能力は拮抗している。
勝負は時の運とも言うが、ほんの些細な差だと思う。
陸上男子400メートルリレーの決勝で、
ケンブリッジ選手は先頭を行くジャマイカの、あのウサイン・ボルト選手に
一瞬並んだようにも見えた。
懸命にくらいつき2位でフィニッシュ、とても感激した。
まずは拍手でしょう!
メダルメダルとうるさいこと。

女子柔道でメダルを取れなかった選手が一人いたがとても気がかりだ。
本人はとても悔しかったと思う。
そっとしておいてあげてほしい。
そして、健闘を称える拍手を送りたい。

秀岳館の全ナイン、
オリンピックの全ての選手のみなさん 

感動をありがとー!お疲れさま。


2016/08/21(日) 田舎の夏祭り

夕べは、
地元、わが合生(あいおい)地区の夏祭り。
この会場は全校生徒73名の西合志第一小学校の運動場。


今年から合生地区の住民となった、
ゆうさんは一日中、37度以上の炎天下でせっせと会場づくりに励み、
本番はヨーヨー、スーパーボールの露天商。





日が暮れて賑やかさを増す。
舞台にくまモンが来たり、
合志市のマスコットキャラクター「ヴィーブルくん」も場内を盛り上げる。



        お祭りの舞台と言えばこれ、ハワイアン



        こんな踊りも



踊りやカラオケ、福引など陽が落ちても大盛況。
若い人たち、浴衣を着た子供たち、家族連れ、高齢夫婦などなど、
みんなが楽しんていた。

        フィナーレは盆踊り。


いいですね、田舎のお祭りは。


2016/08/20(土) 震度1以上2003回

今朝、4月14日以降の震度1以上の揺れが2千回を超え、
8時50分には2003回になった。

慣れのせいか震度1や2ではほとんど気づかないが、
きのうの震度4ともなると「おや?」と身構えてしまう。

もう4カ月を過ぎ、2003回も揺れている。
このくらいの揺れで済むのなら、とも思うけど、今後、
震度3以上の地震は無いという確証はない。

地震の怖さを体験しているだけに、油断はできない。


きょうはこの地区の夏祭り。
ゆさんは朝早くから、祭りの準備に出かけた。
看板やら照明、屋台、舞台の設営と超忙しい。
外の温度はすでに37度、暑いだろうなぁ。
老人会は準備に出なくていいのに、老人会(入会)のお誘いを
断って若手に交じっての力仕事。
ぷっ(笑)
笑っちゃいけないが、そのほうが元気でいい!


2016/08/18(木) 大和さん 4カ月ぶりの帰宅

夕方のニュースを見て驚いた。
大和さんのご遺体は、もう自宅に帰られたと思い込んでいた。

やっと警察の検死が終わって、きょう、実に4カ月ぶりに
阿蘇の自宅へ帰宅、ご家族やご親族の方々に迎えられた。
お母さんは「おかえり」といって棺を抱きしめ、家族で折った
千羽鶴や成人式の時に買ったスーツを納められたという。

ご両親には、とても長い時間だったでしょうね。

大和さんは4月14日の前震で被災した熊本市の友人宅に、
未明(午前2時台~4時台)にもかかわらず、ペットボトル入りの
水を届け、自宅(阿蘇)に帰る途中に土砂崩れに巻き込まれた。
帰ったら、朝から祖父母の農作業を手伝うことにしていたそうだ。

そんな家族や友達思いの大和さんの人柄故に、多くの友人たちが
捜索への協力を惜しまなかった。

葬儀は21日だそうだが、大和さんは今、ご家族やご親戚、ご友人、
ご近所の人々に見守られている。

ご冥福をお祈り申し上げます。

2016/08/18(木) 「秀岳館」勝つ! 準決勝進出

10時8分 常総学院(茨城)1-4秀岳館 (熊本)
甲子園12日目、準々決勝の第1試合、常総学院(茨城)と対戦。
本塁打で先制した秀岳館が継投で守り勝ち、準決勝進出を決めた。

野球には流れというものがあるが、終始、秀岳館にツキがあった。

相手校の常総学院は優勝候補の履正社(大阪)を7-4で破った強豪校。
相手のエラーなどで運よく2点を追加したが、9回表、常総学院の
攻撃に入るときは、3点くらいのリードでは絶対に危ない!

ハラハラドギドキで観ていたが、案の定、満塁。
甲子園のイメージはだいだいこのシーンでは連打連打で同点、
そして逆転というパターンが多い。
もう、なんか「まな板の鯉」の心中で応援。
ところが、投手交代などで替わりかけそうになった「流れ」を
逃さず踏ん張った。
勝った~!

組み合わせ抽選のくじ運から、なんだかツイている。
甲子園は実力はさることながら、このツキは不可欠だと思う。

次は準決勝!


2016/08/16(火) 13:11 「秀岳館高校」準々決勝進出!

夏の全国高校野球、大会10日目の第2試合、
秀岳館高校が三重のいなべ総合学園に6対1で勝って、
夏の甲子園では初めて準々決勝に進んだ。

HP、熊本地震情報の記事をアップしてる最中、
隣室のテレビから大歓声が聞こえるたびに、
そわそわとテレビを見に、そして座り込んで観る。
これを何度か繰り返す。

とうとう終盤はテレビの真ん前で観戦。
結果、夏の甲子園で初めての準々決勝進出。


2016/08/14(日) 大和晃さん おかえりなさい

大和 晃さん おかえりなさい。

やっとご両親の元に帰れましたね。

毎日毎日、暑い中、晃さんを捜し回る
お父様お母様のお姿を見るたび、
お身体のことを心配しておりました。

やっぱり、ご両親の愛情、多くの人々の
友情が何よりも勝りました。

やっと、今日、ご家族でゆっくりできますね。


2016/08/13(土) 熊本県代表「秀岳館高等学校」初戦突破!

今日も朝から猛暑、里芋の緑葉が枯れるほど。
きのう、熊本市は予報通りの38度で全国5位の暑さ、
それを上回ったのが菊池市の38.7度、全国1位の暑さだった。
菊池市とわが住まいの合志市は隣同士、道理で暑いはず。
外に出るといい湯加減のお風呂状態、言いすぎでない、
これが日本一の暑さ。

この連日の猛暑の中、
周囲の人はほとんど睡眠不足で顔色悪く、
「もーちょっとだったのになー」とつぶやき、
お昼はお昼で高校野球、もう身体ふにゃふにゃ。

わたしはあんまりスポーツに関心がないので、
夜更かしのオリンピック観戦はやらない。
が・・・
きのうの甲子園は熊本の秀岳館の初戦、
みんなから応援しなきゃだめ!と言われ、テレビ観戦。

部員たちは熊本地震の影響で思うように練習も出来なかったらしい。
被災者のためにボランティア活動にも参加している。
中には益城町出身で家が半壊、車中泊をしていた部員もいるという。

6対1で初戦突破。 良かった~!

次は3回戦。(※抽選で初戦が2回戦)
いつものように、
あこがれの甲子園で、
しっかり野球を楽しんでほしい。


2016/08/11(木) 「山の日」 どうか見つかって

きのう、阿蘇大橋崩落現場付近で大和さんが乗っていたとみられる
乗用車から遺体らしきものと衣服の一部が見つかった。

今日も朝から引き続き、車体引き上げの作業が続いている。

県の捜索が中断されても、ご両親は独自に捜索を続け、
7月24日に現場で車体を発見、8月9日から県は捜索を再開していた。
お母さんが崩落現場に向かって、「ひかるー もうちょっとだよー」と
泣きながら叫んでいた。私も子供の母親として痛いほどお気持ちが
わかる。

今日は「山の日」。
「山に親しむ機会を経て、山の恩恵に感謝する」として、
今年から新たに制定された祝日。

きっと、今日、山は、大和さんを返してくれるに違いない。


2016/08/09(火) 長崎 71年目の「原爆の日」


71年目の長崎「原爆の日」。
NHKの平和祈念式典を見る。
長崎へ原爆が投下された午前11時2分、黙とうを捧げる。

隣のチャンネル(Eテレ)では、甲子園で長崎市立長崎商業高校が
戦っていた。
なぜチャンネルを替えたのかも分からないが、長崎と長崎、
これは偶然か偶縁なのか。
甲子園の長崎商ナインもベンチの前で円形に並び、黙とうを捧げ、
応援席も投下時間に目を閉じたそうだ。

爆心地の近くであった長崎市立商業学校は原爆で校舎が焼失し、
生徒ら175人が亡くなっている。

この1年間に亡くなった人や新たに死亡が確認された人は、
合わせて3,487人、原爆死没者名簿に名前が書き加えられ、
総数は17万2,230人。

平和祈念式典で今年も、山里小学校の児童たちが「あの子」を歌った。
山里小学校も爆心地のすぐ近くで、教師28人と1,500人以上いた
児童たちのうち、1,300人が亡くなっている。
その亡くなった児童たちが「あの子」らである。
「あの子」の作詞は被爆医師・永井隆(ながいたかし)博士、
作曲は木野普見雄(きのふみお)氏。

児童たちの歌声を聞いたら、絶対に戦争をおこしてはならないと
思えるはず、世界中の人たちに聞いてほしい。

※歌詞を載せたいけど著作権があるので、
長崎市立山里小学校のHPをぜひ見てください。
児童たちの歌が聞けます。


2016/08/07(日) 甲子園

夏の全国高校野球大会が甲子園球場で始まった。

7月30日のブログに書いていたが、
開会式で熊本の高校生が入場行進の先導と始球式を務める。

   テレビの前で準備万端。間もなく開会式。


   何だか、親にでもなったようなハラハラドキドキ感。

               「選手入場!」
   おー 来た来た。

熊本県立東稜高校野球部の山門憲司主将が胸を張り、手を振り、
実に堂々と歩いてくる。
山門君の先導で全国49の代表校が行進してきた。

みんな、うれしいだろうな~ 
ほんと、胸が熱くなる。

いよいよ、開幕の始球式。
熊本県立阿蘇中央高校野球部の倉岡真聖主将が投げる。
ゆっくりでいいのよ、しっかり踏みしめて、甲子園で投げる時間を
ゆっくり楽しんで・・・とか無理なこと言いながら
声援を送る。

速い球! 130㌔も出てる。

いるんだろうな~ ここに来れなかったけど実力ある選手が
いっぱいいるんだろうな

そんな選手たちの思いや、熊本で被災した人たちの思いを白球に
込めて投げた。

立派です!
元気を感じさせてくれる勇姿でした。

きっと避難所や仮設住宅の人たちも、熊本のみんなが見てますよ。


2016/08/06(土) 広島 71年目の「原爆の日」

朝の8時、テレビのチャンネルを替える。


    広島の原爆ドームが映し出された。

今日は「平和記念式典」の日、
日本人にとって、いや、人類にとって大切な日。

戦争は、人の殺し合い、
戦争は絶対にしてはいけないと、
戦争の犠牲となられた多くの方々の御霊に
お誓いする日。

午前8時15分17秒 黙とうを捧げた。

広島は原爆投下から71年。
原爆死没者名簿に新たに記帳された被爆者は5,511人、
死没者の総数は30万3,195人となった。
被爆者の平均年齢も80歳となり、被爆体験を直接聞くことが
出来る時間は、残り少ない。


2016/08/05(金) 夏まつり

気象庁は今朝から「高温注意情報」を発表、
熱中症への注意を呼びかけている。
「高温注意報」なんて初めて耳にする。
大気の不安定からか、猛暑に雷、
なんと、さんまが一匹3万円だとか・・・
このところの様子、不気味にさえ感じる。

今日から熊本市では「火の国まつり」が開催される。
http://www.hinokunimatsuri.jp/
メインの会場はアーケードだから雨が降っても
大丈夫だけど、やっぱり降らないほうがいい。
明日はあちらこちらで、お祭りと花火大会が
予定されている。
ブログの「熊本のイベント」「熊本県の花火大会」に掲載!

今年のお祭りは特別。
こういうときだからこそ!

どうか、雨降りませんように。

てるてる坊主でもつくろうかな。


2016/08/04(木) 寅さん命日



       寅さんが亡くなって、もう20年になるのか~。

亡くなる前の年に、NHKの番組「渥美清の“寅さん”勤続25年」で
「寅さんという役を求めていたか?」という問いに、
渥美さんはとても穏やかな声で
「成り行きでしょうね」と答えていた。
「たまたまな出会いがあって、なんだか知らない間に寅さんを
演じていたんですよ。こういう役をやりたいからと計算づくで
動いてきたわけではないんです。
ほんとうにたまたまでね~、成り行きです。
それが自分にとても合っていた、『運』なんでしょうね。」

プライベートでも親友の共演者、関敬六さんは、
「渥美さんは寅さんなんですよ、あれは演技ではなく地でいってんです」
そう語っていた。

インタビューでも
渥美さんと寅さんは似たところがあるんですか?
という問いに
「それがね~最近わかんなくなってきちゃってね」

やっぱり、渥美さんは寅さん、寅さんは渥美さん。
「寅さん」の大ファンである、ゆうさんが言った。
寅さんのセリフで一番好きなのは、
妹のさくらが、
「お兄ちゃん どうしていつも旅に出ていくの?」と言うと
寅さんは、
「さくら ホラあれ見てみな、あんな雲みたいになりてえのよ」
と空を見上げた。



ピーヒャララ~♪
夏祭りで露店が並ぶと、
どこからか、寅さんの口上が聞こえてきそう。


きっと・・・・
寅さんは今も、どこかのお祭りにいる。


2016/08/03(水) 避難者減少

きのうは35.9度。
もう6日連続の猛暑。
天気予報では今後1週間は35度前後の厳しい暑さが続くという。

益城町の避難者が977人になった。
4月14日の前震から、避難者が千人を切ったのは初めてのこと。
本震翌日の4月17日は町民のおよそ半数に当たる
1万6,050人が避難したが、徐々に減少していた。
おそらく仮設住宅への入居や余震や大雨に備える予防的な非難が
減ったからだろう。

県内の被災状況を見ても避難場所が58カ所、
避難者2,844人(2日県集約分)。
本震後の4月18日の避難者は、県内855カ所に約18万3千人
にも上っていたから、かなり少なくなってきている。

新聞の社会面も明るい記事が多くなってきた。
あちらこちらの夏祭りも、規模は小さくなっているが開催されている。

全てが少しずつだが前に進んでいるように思える。


2016/08/02(火) 偉大な横綱

相変わらずの暑さ、朝から温度急上昇。

九重親方が亡くなったと聞き、どなたなのかピンとこなかった。
相撲は、熱心にテレビ観戦するほどのファンではないので、だれがだれだか疎い。

ところが、
元横綱の千代の富士、と聞いて
「えぇー」と驚き、
「なんで~」とため息をもらした。
千代の富士なら知っている!

私が高校を卒業して市役所へ入庁した年に、千代の富士は幕ノ内に昇進し
華々しい活躍で話題の若手力士だった。
私が社会へのデビューで不安を感じていた頃、小兵でも金剛のような体で、
大きな力士を倒す、そんな姿に何度も励まされた。

当時、千代の富士は習慣性脱臼で大変苦しんでいた。
ゆうさんも、若いころから習慣性脱臼で悩まされていた。
なにしろ、くしゃみでも寝返りでも肩の関節がはずれる。
はずれた時の痛さというものはたとえようもなく、身動きできないほどの
激痛だそうだ。
腕を大きく動かすと、「またはずれる」という恐怖心から、
ボールを投げることすらできないという。
同じ症状で大変苦しんでいた千代の富士をみて、ゆうさんは自分と同じ人がいるんだ
という親近感で応援していたそうだ。

千代の富士は、習慣性脱臼を克服するために、当時の相撲界では考えられない
筋力アップのトレーニングを稽古に導入、そして肩の周りに筋肉をつけた。
その姿にゆうさんも、千代の富士に励まされたという。

賜杯を手にした姿が今も目に浮かぶ。
強い横綱、偉大な横綱、千代の富士は、ずっと生き続ける。

千代の富士は偉大な横綱です。


2016/08/01(月) 南阿蘇村「熊本地震追悼式」

きのう、南阿蘇村で熊本地震犠牲者の追悼式があり、
犠牲者の祭壇に南阿蘇村の住民や遺族らが祈りを捧げた。

遺族代表でお別れの言葉を述べたのは31歳の女性だった。

彼女は4月16日の本震時、一階で母親と一緒に寝ていて、
倒壊した家屋の下敷きになった。
二階部分に押しつぶされ、下敷きになって身動きできない状態で、
足先で母親の足に触れながらは母親を呼び続けたという。

本人はまもなく駆けつけた消防団と父親によって家の下から助け出されたが、
母親はすぐには救出できなかった。その後、全国から駆け付けた消防隊や
警察によって助け出されたが、生きていてほしいという願いはかなわなかった。


彼女は別れの言葉の中でこのように言っている。

前例のない地震に2回も襲われ、当時は毎日「これからどうなるんだろう」
というとてつもない不安を抱えたまま、余震におびえて暮らしていました。
あの時、私も連れてってほしかったとさえ感じました。
「生きている」ということに、絶望していました。
ですが、周囲の方々の優しい言葉、日本全国、全世界からの温かいご支援、
復興に向けて少しずつ前を歩いている皆様、多くのボランティアの方々や行政の皆様の
姿を見て、「私も泣いてばかりいられない。辛いのは私だけじゃない。
母が命がけで助けてくれた命なんだから、毎日を大切に生きよう」と、
わずかですが、わたしも前を向けるようになりました。
(遺族代表お別れの言葉より一部抜粋)


深い悲しみは早々に消えるものではないけど、
「生かされた命」、ということをお母様は教えてくださったと彼女は言っている。

彼女はその教えに、きっと「生きていることの意味」を感じるだろう。

そして、力強く生きていかれると思う。