BLOG 2018年08月


2018/8/29(水) 森岡賢一郎さん

訃報が続く。

森岡賢一郎さんが19日に亡くなったとのこと。

「典子は、今」の音楽監督でいらっしゃったご縁から、
熊本出身の作曲家で加山雄三さんの「君といつまでも」
など、だれもが知るヒット曲を世に出した方だという
ことを知った。それに高校時代の校長先生とは高校の
同窓生だということも。
「典子は、今」の関係者の方々がもう随分とお亡くなり
になり、とてもさびしい。


森岡先生へ
「典子は、今」の主題歌、典子は今・愛のテーマは
わたくしにとってとても大切な楽曲です。

前奏のマンドリンを聴いただけで胸が熱くなります。
映画の中で私が足でマンドリンを弾くシーンが
あります。この撮影のために必死で練習したことを
思い出します。
あの曲にはいろんな思い出が詰まっています。

熊本駅で道行く人に「切符を買ってください」と
何度も何度もお願いしたこと。
新幹線の中で、知らない男性からサンドイッチを
食べさせてもらったこと。
広島の海に飛び込んだこと、などなど。

今も、時折レコードを聞くんですよ。
レコードを聴きながら、まだまだ頑張んなきゃと
思っております。
「わたしやってみる、やってみる」、忘れては
いけませんよね。

今、典子は今・愛のテーマを久しぶりに聴いております。
笑顔で目頭が熱くなります。

一生、胸に残る思い出をありがとうございました。
今日は森岡先生の曲をたくさん聴きたいと思います。
                 白井のり子


2018/8/28(火) さくらももこさん

まさか、と思いました。

まだまだお若いのに。
ほんとうに残念です。

さくらももこさんは
2016年4月の熊本地震発生直後、
「くまもん頑張れ絵」で
ちびまる子ちゃんとくまモンを描き、
励ましのメッセージを添えてください
ました。

その後も、被災地の益城町広安小学校の
児童が描いた花とちびまる子ちゃんを
コラージュした「復興のぼり旗」を作る
などいつも心にかけてくださいました。

あのときの、とても心優しいメッセージ、
忘れません。

「熊本のみなさんも 大分のみなさんも 
九州の皆さん まだ大変だけど 頑張って!!
どうか無事で!!」

熊本県民の一人としてお礼を申し上げます。

ほんとうに、ありがとうございました。

さくらももこさん
また新たな世界でご活躍くださいますように。


2018/8/25(土) チキンラーメン 60歳

きょうはチキンラーメンが、
1958年8月25日の発売から60年になるという。


なんだかチキンラーメンを食べたくなった、と
ゆうさんが5食パックを買ってきたのが一昨日のこと。
偶然というかチキンラーメンに呼び寄せられたのか、
おかげで一昨日も、昨日も、昼食にチキンラーメンを
付き合わされてしまった。

久しぶりにチキンラーメンをすすりながら、
ゆうさんの例の思い出話が始まった。

「小学校のころ入院してたことがあり、そのとき
母親に甘えてチキンラーメンが食べたい、と初めて
買ってもらったんだ。
普段は、高くて買ってもらえないし、そもそも田舎には
売ってなく、バスで1時間かけて町から買ってきてくれた。

初めて口にしたとき、
そりゃもう、バナナを最初に食べた時以来の感動だった。
美味しかったな~、それでね、当時の魔法瓶はすぐに
ぬるま湯になってしまうので、3分待っても芯が残っている
固麺状態。
だからそれが俺にとってのチキンラーメンの味なんだ。
今も熱湯で3分ではなく1分! 1分であのときの
チキンラーメンなんだ!
これを作った人はね~」

・・・・・
このあたりでチキンラーメンを食べ終わる。
この話を聞くのはもう3回目になる。

まさか今日のお昼も?
60年と知ったからにはやり兼ねない。
チキンメーンは飽きないからいいけど、
でも、あの話はもう勘弁してもらいたい。

それにしても安藤百福さんはすごい人。
世界中の即席めんの元祖だから。


2018/8/21(火) 祝・準優勝! 秋田県立金足農業高等学校

地元以外の高校を応援したのは初めて。
いや~熱が入った。
一点入った時の無我夢中の歓声と拍手、
あんなに燃えたのは久々のこと。

地元の人たちも、夢を見たに違いない。
あの子たちはみんなに夢と希望をもたらした。

冬は雪の中を長靴で練習をしたとか。
まさしく部活の練習で勝ち取った
準優勝!!

よく、頑張りました。おめでとう!!


2018/8/15(水) お盆・終戦の日

心配した台風第15号(リーピ)は熊本をそれて
福岡から対馬のほうへ進んでいる。

このところ早朝から30度という蒸し暑さに
悩まされていたが、今朝は比較的涼やかな風に
日差しも遠慮がち。セミも何となく控えめで
早秋を体感。

今日は平成最後の終戦の日。
第二次世界大戦の亡くなった軍人、民間人は
8000万とも言われている。
当時の世界の人口の2.5%以上とか。
それまでにも数多くの戦があり、今なお
戦火の渦にいる人たちがいる。
どうして戦い(人の殺し合い)は無くならないんだろう。
どうして、平気で子どもたちを殺せるんだろう。

庭の小さなお墓にはミニチュアダックスフンドの
ナナちゃんや、歴代のアイドルたちがねむっている。


お線香を立てて、さくらとお参り。



そして、ゆうさんが作る恒例のお煮しめと
五目ずしでお盆会。







2018/8/9(木) 73回目の「長崎・原爆の日」

午前11時2分、スマイルビー事務所で黙とう。

甲子園に出場している創成館(長崎)の選手たちも
球場の室内練習場で長崎の方角に向かって黙とうした。

ゆうさんは近くのスーパーマーケットで買い物の途中、
黙とうしたそうだ。
店員さんから「ご気分でも悪いんですか。」と言われ、
とても気分が悪くなったそうだ。
だーれも黙とうなんかしてねーよ、いったい
どうなってんだこの国は。

ま、仕方ないですよ。
テレビだってNHK以外、どこもやってませんから。
広島の時だって、黙とうの時間、民放はみんな
ボクシングの会長さんがどうだかこうだかって
やってましたから。

「ったく! 何なんだよ」と、ゆうさんご立腹。

ほんと、忘れてはいけないのに。
絶対に忘れてはいけないことなのに。

この1年間に亡くなった被爆者など3511人の
名前が書き加えられ、死没者の総数は17万9226人に
なった。


2018/8/6(月) 73回目の「広島・原爆の日」

いつものように朝が来て
蝉が鳴き、青空にもくもくと白い雲が。

きっとあの時もそうだったに違いない。
8時15分までは。

この1年間に死亡が確認された5393人の
名前を記した原爆死没者名簿が慰霊碑に
納められ、犠牲者は31万4118人となった。
被爆者健康手帳を持つ人は今年3月末時点で
全国に15万4859人。
平均年齢は82.06歳となった。 

広島のある高校の生徒たちが英会話を学習して、
原爆ドームを訪れる外国からの観光客に、
自分たちが体験者から実際に聞いた話を
英語で伝える活動をしている。

ひとりの女子高生がこんなことを言っていた。
「広島だけではなく、いろんなところで、
戦争は人々の命を奪っています。
内側だけを見るのではなく、多くのことを
学びながら平和に向けての活動を続けていきます。」
と、いうようなことを言っていた。
それを聞いていた外国人は真剣な表情で頷いていた。

わたしも
「そうだよね」と高校生のひたむきさにウルウル。

とても確かな行動、国レベルでやらなければなら
ないことを高校生たちは生き生き、活き活きと純粋に
活動している。