「網走の大ちゃん」
2006年 しばらくブログを休もうと、あいさつ文を書き込みした日のこと、子どもからと思われるメールが届きました。
最後に目を通したメール。
「はじめまして、大と申します。僕は今2歳です。
僕も両手に障がいがあります。
でも今日の朝TVでのり子さんを見て、もしかしたら、頑張れるのかな?なんて思いました。これから新たな人生頑張ってくださいね! 」(原文)
2歳の子どもだから当然、親御さんが送ったものと察したが、何だか気になったので表記してあったアドレスをクリックしてみたら、まるで女の子のような可愛い顔立ちの男の子が目に入ってきたのです。
「ほんとだ、両腕か短い」それにしても何と可愛い子でしょう。
大ちゃんのブログをのぞいてみました。
ブログのタイトルは『生きるってすばらしい』~大の大切な日々~、
その中にこんな自己紹介がありました。
はじめまして、大です(^○^)。僕は平成16年2月6日、
両手と心臓に障がいを持って生まれました。
同年7月、心臓手術。僕は何度か生命の危機にたたされた事もあった
けれど、たくさんの人達の助けにより、今を生きることができました。
手術より2ヶ月経過・・・、僕の脳が縮んでしまっていることがわかりました。
その後、頭の手術を3度行いました。が、生きるためには仕方のないことでした・・・。
今、僕の障がいは、手と心臓と頭。僕は他のお友達と同じように、
いろいろな事を感じたり・笑ったり・動いたりは出来ないけれど、
少しでもたくさん感じる・笑う・動くことを出来るようになりたいので、
毎日の刺激とリハビリをたくさんの人達に助けてもらいながら、
僕なりのペースで頑張っていこうと思っています。
これからの僕の成長を、日記を通して見守っていただけたら、うれしいです・・・(^-^)/♪
(大ちゃんのブログから原文のまま)
大ちゃんは、外見は短い両腕の先に何本かの指が付いているサリドマイド被害児とよく似ていますが、心房中隔欠損症、さらには脳にも影響を及ぼすという「ホルトオーラム症候群」という疾患だったのです。
大ちゃんのブログを見て返信することにしました。
大くんへ
大くん こんにちわ
のり子です。
返事がおそくなってごめんなさい。
11日にくれたんですね。
毎日たくさんのメールがきます。
今日見ました。
そうですか、わたしも腕がないんですよ。
でも、そのことで一度も泣いたことはありません。
きっと 大くんもそうだと思います。
泣いても手ははえてこないし、心臓もよくなりませんよね。
強いものどうしで、おともだちですね。
あ、わたしのこと「のんちゃん」と呼んでください。
のんちゃんは片方の目も見えないんですよ。
このことは、あまり人に話してません。
みんな、今を生きています。
今を、どれだけ大切に生きるか、それがひとり、ひとり
ちがうのです。
大くんは 今日はなにをしましたか。
いっぱーい生きたぞって胸をはれるかな。
のんちゃんも、毎日、いっぱーーーーい生きたぞって
ご飯をもりもり食べてます。
少し、太り気味かな・・・・これは秘密ね。
いま、のんちゃんは本を書いています。
あのね、昨日までに書き上げなければいけなかったのです。
でも・・・まだ半分しかできてないんです。
どうしましょ! といいながら笑っています。
またメールします。
大くんも、また送ってくださいね。
大丈夫だよ! 大くん!
大くんのメールがすぐ見れるように
こちらのアドレスへ
(平成18年4月13日大ちゃんへの送信メール 原文のまま)
メールのやりとりが始まって半年が経った頃、網走市から講演の問い合わせが舞い込んできました。
網走青年会議所など多数の団体が共催で開催したいという申し入れで、実行委員の中には大ちゃんの父親もいたのです。
平成19年1月17日、女満別空港に降り立ちました。
網走は雪でした。見渡すところ真っ白、初めて見る光景です。
大ちゃんが家で待っててくれました。
大ちゃんは言語障害もあり、「おーっ」という第一声は精一杯の歓迎の声だったのでしょう。
それからの時間、ソファーで大ちゃんを膝の上に抱っこしたり、記念写真を撮ったり、声なきおしゃべりをしたり、それはそれは本当に楽しいひとときでした。
翌日、雪が凍てつく中の講演会、私の常識では中止になってしまう天候も、網走ではこれが普通だというから驚きでした。
会場は熱気に包まれるほどの満席で、最後まで耳を傾けていただきました。
90分の話しを終えると主催者からお礼のことばがあり、そして花束の贈呈。
花束を持った女の子と一緒に、何と・・・大ちゃんが!
ニコニコと歩行器に掴まって歩いてくるのです。
会場からも大きな拍手が沸き起こりました。
なんという、サプライズ、あのときの感激は今も忘れられません。
10月、大ちゃんが熊本にやってきました。
お父さん、お母さんと初めて旅をしたのです。
およそ五時間の長旅は大ちゃんにとっては大冒険、両親は運を天に任せるような胸中ではなかったかと思います。
到着ロビーに大ちゃんの姿が見え、駆け寄って顔を合わせたら「オーッ」、大ちゃんの元気な声が響き渡りました。
頬ずり、頬ずりで久しぶりの再会を喜び合ったのです。
大ちゃんが熊本へ来て3年と4ヶ月、大ちゃんの父親から電話が入りました。
「大が亡くなりました」
平成23年2月19日のことでした。
大ちゃんは、人の何倍もの速さでこの世を駆け抜けていきました。
流氷とともにやってくるクリオネのように、精一杯生きて流氷とともに大空に昇っていったのです。
それは大ちゃんに与えられた使命だったのでしょう。
私は、命の価値は長短ではなく濃度だと思っています。
大ちゃんのご両親も凝縮した愛情の日々を過ごされたに違いありません。
大ちゃんは、あの時ステージで見せてくれた笑顔で、流氷の上を元気に走り回ったり、時にはクリオネに姿を変え天使のように舞ったり、いつも私の中にいます。
大ちゃん ありがとう。また、会おうね!